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津久井のご紹介

[津久井の言い伝え] 

1
大自然の恵み豊かな津久井 戦中戦後のスケッチ
2
正覚寺の「狸和尚伝説」
3
正覚寺の夜泣き地蔵」
4
山梨県南都留郡道志村の言い伝え 「厳道峠と久保商人の話」
5
山梨県南都留郡道志村と神奈川県津久井郡相模湖町の言い伝え 「阿弥陀様と地名にまつわる話」
6
石老山顕鏡寺の伝説 岩若丸の悲劇とよみがえりの物語
7
大きな蛇と愛犬との死闘を見た人の話
8
柳田国男先生と正覚寺の話
9
勇気ある地元山岳会員のお手柄
10
「ヘリコプターによる空からの救助作戦」の提案
11
撚糸の町・半原物語
12
相模ダム(相模湖) 建設工事に捧げた先輩に感謝
13
相模川今昔物語
14
.津久井の地名唄巡り
15
孫の笑顔は宝物
16
闘病記・医者に見捨てられて
17
篠原の里の名刹  「月見山福壽院」
18
「地震峠」の教訓を生かし日頃の備えを
19
岩崎吉太郎作品集「湖かがやく」のこと
20
照手姫伝説が残る里
21
.どんと鯉・鯉釣り天狗
22
刻印付き半鐘は地域の宝物
23
.「春の女神 ギフチョウ」を大切に!
24
.幼い日の思い出
25
若き日の夏の思い出
26
地名探求の楽しみ
27
わが町の大名行列
28
私の故郷は道志川下流の「三太の里」 (1) NHKラジオ ひるのいこいで放送されました
29
幼い命の誕生に乾杯 NHKラジオ ひるのいこいで放送されました
30
初夏の訪れを告げる蛙の合唱 NHKラジオ ひるのいこいで放送されました
31 東北関東大震災に思う
32 道志川の夏
33 ボート遊びに来た親子と出会った話
34 梅や桜の花芽がようやく満開

 

闘病記・医者に見捨てられて

  私は、七十年に近い半生の中でいくつかの病気を経験し、我ながら命の大切さと不思議さの思いを心に深く刻んで来ました。思い出すままに見たままに感じたことを綴ってみます。
  私は昭和五十年から五十三年にかけ重い肝臓病(激症肝炎)を患い、七回もの入退院を繰り返した経験があります。当時の日本は、昭和四十七年 (一九七二年)に日本列島改造論をぶち上げて政権の座についた田中角栄首相の下で土建・建築業が隆盛を極め、相次ぐ高速道路の完成に伴い大型店舗やコンビニエンスストアが次々に出店し、国内経済が活気づいた時期でした。
  私は当時、サラリーマンとして石油会社に勤めていましたが、経済の活発化により石油製品の売り上げも伸び、仕事は上昇気流に乗っていました。ところがその矢先、体調をこわしてしまいました。仕事上の激務が発病の原因でした。その頃は昼間自分の仕事をこなした後、研修会で後進の指導にあたり、夜遅くまで忙しい日々が続き、そのつけが大変な病気の引き金になるとは予想もしませんでした。「体を大事にして」という家族の忠告にも真剣に耳を傾けるひまもなく、その結果、ついに肝臓を壊し入院生活が始まったのです。
  その後も入院するたびに三ヶ月間は外泊以外、病院から出られませんでした。時には一年に二回もの入院を余儀なくされ三回も同じ肝臓病で入退院するうち慢性化してしまい完治しない不治の病かという不安を打ち消す事ができませんでした。
  入院時に一緒だった方の中には病状が悪化して亡くなった方が何人もいました。その中で今でも非常に強く印象に残っている思い出があります。夜中に隣の部屋で「お父さん、お父さん」と泣き叫ぶ家族の声が聞こえました。朝方になって静かになったと思うと看護婦さんや看護助手さんたちの忙しそうな足音が聞こえ、その後三十分も経たないうちに、私のいる部屋に看護婦さんが「押田さんお待たせしました。お部屋の準備が出来ましたのでお引っ越ししましょう」と言いながら入って来ました。
  それもそのはず、私は自分の体調が良くないので、入院時に六人部屋だと皆さんに迷惑をかけると思い、前もって個人部屋を申し込んでおいたこともあり、ナースセンターより連絡が来たのです。それから数分後に看護婦さんに部屋に案内されると、やっぱり、夜中に「お父さん、お父さん」という声がしていた隣の部屋でした。看護婦さんはその事情を「朝方亡くなったのよ」と話します。私はこの案内された部屋で元気になるまでお世話になることになりました。既にベッドのシーツ、毛布、布団、枕のカバーだけは交換してあり、一人部屋に入るつもりではいたものの、やっぱり落ち着きません。やがて、看護婦さんは部屋替えのため洗面具などの荷物を運び終わり、やっと静かになりました。
  その日に限り面会者も無く、夜を迎え、前夜の「お父さん、お父さん」と呼ぶ声がどうしても耳に残って離れません。孤独との闘いでした。前夜亡くなった方の布団の中では落ち着いて眠れません。何度も何度も「患者にとってみればお互い様、たまたま順番になっただけ」と自分に言い聞かせますが、思いがけない出来事で涙が出尽くしてもう出ないほどの絶望感に苦しみました。クリーニングしたての枕カバーとシーツの冷たさがこの時はど身に染みて、寂しく感じたことはありませんでした。
  私にとって人生で一番長かった夜が明け、少しうとうとしたのは明け方の三十分ほどだったと思います。目を覚ました後、寝不足の目をもう一度閉じると、家族のことが心配で目に浮かびました。
心の中で『頑張るぞ』と思っても体が動かない。自分の体調は本人が一番よく分かる。時には病気に押しっぶされそうになり、部屋のベッドの前にある洗面台の小さな鏡に映る自分の顔に黄疸が現れ、黄色い顔に大きな黒斑点が出ているのにびっくりして『もう駄目か』と思ったこともあります。
  口では言い表せない辛い思いを重ねる日々でしたが、そんな時でも家族連れで見舞いに来てくださる知人に励まされ、中には「お見舞いに何を持って来たら良いのか分からないので、私の気持ちです」と封書を差し出してくれた人もいました。本人が帰ってから開けてみると大きな折り鶴と、「山吹の 花に置きかえ わが心 祈りの中に 今日匂いける」という和歌が書かれた手紙が入っていました。こんな心遣いがどれほど病人を力づけてくれることでしょう。病床にあればこそ人の優しさに敏
感になるのです。『一日も早く元気になって、こういう優しい方々と付き合いたい』、その気持ちが生きる執念にもなるのです。ただ、中には帰る時に「何か美味しい物を食べて帰ろうか」等と会話しながら病室を出ていく明るい親子の姿を見送り、健康な人たちをこの時ほどうらやましく感じたことはありませんでした。
  その後も良くなったり悪くなったりの日々が続き、点滴に明け暮れていましたが、入院中に医療ミスも体験しました毎朝、看護婦さんが台車いっぱいに薬等を乗せて「点滴ですよ」と回ってきます。ある日、「点滴をします」と私の所へ来て、いつものように針を刺し、「はい、頑張って下さい」と言い残して出て行きました。私も毎日のことなので、また、看護婦さんのすることなので安心してウトウトしたのですが、点滴が終わる頃に目がさめてふと、自分の点滴薬を見ると、名前が「佐藤」 と書いてあるではありませんか。びっくりしてすぐ看護婦さんに連絡し、「どうしてこんなことをするんだ」と問い詰め、「私の点滴はどうなっているんだ」と確認したところ、またびっくり。私の点滴は少し離れている女性専用の部屋のベッドに寝ている佐藤さんが使っているのです。佐藤さんも丁度点滴を終えるところでした。すぐさま婦長さんを呼び、事情を話したのですが、平然として 「大丈夫ですよ。中身が少し違うだけですから」との返事。これには開いた口がふさがりませんでした。
  生死を賭けて入院している患者にとってはたまりません。病院は安心なんだと思っていたのですが『注意をしていないと危険だ』とつくづく感じました。今のような時代にこのようなミスがあれば、特にテレビ、新聞等でも医療ミスが話題になっている現代社会においては、大変なことになります。医師・看護婦が手不足になっている中でミスの可能性は高い。しかし、病院でのミスは絶対に許されないことは言うまでもないのです。
  私の病気は好転しないままで、ある日、院内のトイレ前に人だかりがしていました。検査のための畜尿瓶のことを話題にしている様子です。後ろの方からのぞいてみると、その中の一人が「この人が一番悪いね」と指さしていました。その指先を見ると私の畜尿瓶がありました。尿の色が患者の中で一番悪いということが話題だったのです。「それほど重症か」と気持ちが滅入ってしまいました。
 数日後、親戚の人が見舞いに来て、何か袋を差し出し、「これが肝臓にいいと聞いたので、試してみたら」と、木の皮を素材にした漢方薬を勧めてくれました。私は藁(わら)をもつかむ気持ちで飲むことにしました。すでに入院してから二ヶ月を少し過ぎた頃のことでした。その木の皮をヤカンに入れて院内のガスレンジで煎じ始めたところ、入院患者が「変な匂いがする」と大騒ぎになてしまい、煎じるのを止めました。仕方なく、家族が来た時に「家で煎じて魔法瓶に入れてきて」と頼みました。
  飲み始めて二十日ほど経ち、そろそろ入院して三ヶ月になろうとした時、家族が洗濯物を持って部屋に入ってくるなり「あれ、お父さん、今日はどうしたの」と、驚きの声を上げました。いつもは肝臓病の典型的な症状で体全体がだるくて、寝るか、何かに寄り掛かってばかりいた私が、自分では気付かないまま布団の上に背筋を伸ばして座っていたのでびっくりしたのでした。このとき初めて、薬が効いて自分の体に奇跡が起きたのかと感じました。
  担当医師も気付かないままその漢方薬を飲んで三十日も経たない頃、毎日定期的に回診して血液検査もしている医師が、私が漢方により快復していることに気付かず、最終回診で「入院してそろそろ三ヶ月になりますが、データもこれ以上良くならないので退院して自分の好きな物を食べ、のんびりして下さい」と言われました。本来であれば肝臓で退院する時は必ず食事療法として肝臓食のメニューの説明があってしかるべきなのに、食べられる物を何でも食べて下さいという説明だけしかありませんでした。結局、医師に見放されて退院することになったのです。
  それからは徹底的に漢方薬療法に切り替えました。病院から出された薬は一切飲まず、自宅で漢方薬だけを七年間飲み続けた結果、すっかり良くなり、医師から「一年間に一回程度の外来治療にしましょう」と言われるまでになりました。その後二年ほどは病院に足を運びましたが、その後まったく行くこともなく、病院とは二十年も無縁になりました。
  肝臓病を克服し、健康を取り戻した喜びの中で日々を送る私は最高に幸せで、何より健康であることに感謝しております。

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